こんにちは、サイト案内人のコッキリンです。
昨日はラグビーW杯の日本代表vs南アフリカ代表の準々決勝でした。
初めての決勝トーナメント出場!!!
日本にとっては残念な結果となってしまいましたが、とても熱い戦いに胸を打たれたコッキリンです。
南アフリカのチームとても強かったです!!!このまま勝ち進んで行くかもしれないですね!!
今日は、そんな南アフリカの国旗を見ていきましょう。
Contents
<南アフリカの国旗 デザインや六色の意味とは>
比率とデザイン
南アフリカの国旗はとても特徴的なデザインですよね。
縦横の比率は2:3で日本国旗と同じ比率です。
黒・赤・緑・青、それに白と黄色の輪郭線をもつY字を横にしたような横Y字旗ですね。
この国旗が制定されたときには、この六色には特に意味はなかったようです。
しかし、近年は非公式でそれぞれの色に意味付けがされているようです。
色の意味は?
赤は、独立を求め対立が続いた歴史の中で流された血
青は、空と隣接する二つの大海(大西洋とインド洋)
緑は、農業と自然
黄色は、金やダイヤモンドなどの豊かな天然資源
黒は、南アフリカの黒人の国民、また、他のアフリカ諸国とのつながり
白は、南アフリカの白人の国民、そして平和 を表しているということです。
また、南アフリカ国旗の六色のうち、 黒・緑・黄色の三色がアフリカ民族会議の旗の色で、残りの赤・青・白は過去に南アフリカを支配していたイギリス・オランダの国旗の色になります。
そのことから、南アフリカの国旗はアフリカの伝統とこれまでの歴史を表しているとも言えますね。
では、南アフリカにはどんな歴史があったのでしょう。
<南アフリカの国旗と歴史>
オランダ・イギリスの植民地だった歴史
17世紀の半ばにオランダ人が南アフリカの南部にケープ植民地を開きました。
19世紀後半になると、イギリスが占領し、オランダ移民のブール人(オランダ語で「農民」を意味する)は北へと追いやられていきました。
イギリスに追われたブール人は1852年にトランスバール共和国をつくり、1854年にはオレンジ自由国をつくりました。
オランダ国旗の赤・白・青が反映されていますね。
しかし、この二つの国で金やダイヤモンドが発見されると、イギリスが支配することに。
ブール人は独立を求めて戦い独立を勝ち取りますが、その後金鉱が発見されると、再度戦いが始まり、イギリス軍に敗れてしまいます。
1910年には南アフリカ全域がイギリスに支配されました。
1928年には中央に国の歴史を表すイギリス、オレンジ自由国、トランスバール共和国の旗を並べたオレンジ・白・青の横三色旗に。
黒人の国民が人種差別を受けたアパルトヘイト政策
第二次世界大戦後には、少数の白人が国の支配を続けるために、アパルトヘイト政策で有色人種が差別される時期が続きました。
アフリカ民族会議の抵抗や国際社会からの大きな批判もあり、1991年にアパルトヘイト政策は廃止になり、1994年黒人のマンデラ大統領が選ばれました。
その際に制定されたのが、現国旗になります。
<南アフリカの国旗と似ている国旗>
特徴的なデザインの南アフリカの国旗ですが、他に似ている国旗はあるのでしょうか。
ありました!
バヌアツ共和国
バヌアツはオセアニアにある約80の島々からなる国です。
バヌアツの国旗も南アフリカの国旗と同じ横Y字旗ですね。
色使いも何となく似ていて、赤・黒・緑・黄色の四色が使われています。
南アフリカの国旗はこの四色に青・白の二色を足した六色でしたね。
<まとめ>
南アフリカの国旗にはアフリカ民族としての伝統と、オランダ・イギリスに支配されていた歴史が反映されているようですね。
ラグビーW杯でベスト4が決まった南アフリカ。
どこまで勝ち進むのか、まだまだ目が離せませんね。