ジャンボ!コッキリンです。
ケニアに行ったことはありますか?どのようなイメージでしょう?
広大なサバンナに野生動物、そしてマサイ族などでしょうか。
私は15年くらい前に訪れたことがあります。
その時はサファリパークで象やキリンなど色々な動物を見て、パーク内でキャンプもしました。満点の星空の下で友達をいろんな話をしました。
今日はそのケニアの国旗について見ていきましょう。
ケニアの国旗がどのような国旗か知っていますか?
Contents
<ケニアの国旗 色やデザインの意味>
ケニアの国旗の色とデザイン
まずはケニアの国旗の縦横比率を見てみましょう。
日本の国旗と同じ2:3の国旗ですね。
色は上から黒・赤・緑の横三分割旗で、それぞれの色の間に白いラインが入っています。
中央にあるマークはマサイ族の盾と槍を表したものです。交差した白い槍の上に赤・黒・白を使った盾がデザインされています。
このようにケニアの国旗には黒・赤・緑・白の4色が使われていますが、この色に何か意味はあるのでしょうか?
色の意味は?
黒は『国民』を表しているといいます。ケニア国民の肌の色を表しているんですね。
赤は『独立するために流された尊い血』を。 この「赤」の色は少し暗めの色合いで「ケニアレッド」と呼ばれています。
緑は『恵みあふれる自然と天然資源』を表しています。ケニアには広大なサバンナが広がっていますから、それを表したんですね。
そして、白いラインは『平和と国民の団結』を表しているようです。
ケニア国旗のマサイ族の盾と槍
国旗中央にあるマサイ族の盾と槍は『自由と独立』を表しています。
イギリスからの独立戦争時、銃を使って戦うイギリス対し、槍と楯で戦い独立を勝ち取ったケニア。国旗の盾と槍はその誇りを表しているんですね。
ケニアの国章にもマサイ族の盾と槍が同じように使われています。
このマサイ族の盾と槍がケニアの国の象徴なんですね。
では、この国旗はいつから使われているのでしょう。
<ケニアの国旗 歴史や由来>
紀元前1000年までに現在のケニア国民を形成するバンツー系の民族がケニアに定住したと言われています。
その後、7,8世紀にはアラブ人が定住し、10世紀までにバンツーとアラブが混ざったスワヒリ語のスワヒリ文明が栄えました。
イギリスやドイツの侵入
19世紀にアフリカの植民地化が始まり、イギリスとドイツ帝国がケニア沿岸に進出してきます。
イギリスが優勢となり、1895年にイギリス領東アフリカが成立します。
その時の国旗はカントン部にイギリス国旗を配したブルー・エンサインに赤いライオンが描かれたものでした。
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マウマウ団の乱~ ケニア独立へ
ケニア土地自由軍(KLFA)が1952-1960年にイギリスへの抵抗運動を始めました。これがマウマウ団の乱と言われています。イギリス側がケニア土地自由軍(KLFA) をマウマウ団と呼んでいたようです。
マウマウ団は敗北しますが、これを機に独立への動きが強まり、1963年には英連邦王国として独立を果たします。その際に制定されたのが現国旗です。
翌年1964年に共和制へ移行し、ケニア共和国となりました。
<ケニアの国旗のように武器を配した国旗>
ケニア国旗はマサイ族の盾と槍が特徴的な国旗ですが、他にもこのように武器を国旗に配している国はあるのでしょうか?
探してみたらありましたよ。
エスワティニの国旗
エスワティニ(旧スワジランド)の国旗にも盾と槍が描かれていますね。これもスワジ族の伝統的な武具を表しています。
アンゴラの国旗
アンゴラの国旗には鉈(なた)と歯車が描かれています。農民と工場労働者を表しているようです。
オマーンの国旗
オマーンの国旗に描かれているのはオマーンの伝統的な短剣と太刀で、王の権威を表しているとのこと。
モザンビークの国旗
モザンビークの旗には銃と鍬(くわ)が描かれています。これは兵士と農民を表し、本は知識人を表しているようです。
バルバドスの国旗
バルバドスの国旗の中央にはギリシャのポセイドンのシンボルである鉾(ほこ)が配されています。植民地支配からの解放を表しているようです。
<まとめ>
今日はケニアの国旗について見てきました。
中央のマークは何をデザインしているのかわかりましたね。
そう、マサイ族の盾と槍なんです。
イギリス相手に独立を勝ち取った国民の誇りが表れていました。
他の国でも武器を描いた国旗がありましたね。
日本だったら日本刀が国旗に描かれているような感じでしょうか。だいぶ雰囲気が変わりそうですね。
では、今日はこの辺で。